JMS 日本経営システム

経営シリーズ

  • 経営戦略・事業計画
  • 海外コンサルティング

挑戦する海外現地法人

No.647 | 2024年3月号

今月の視点


 「日本企業の海外進出が『ひと段落した』」と言われて久しい。そうした地域も多くなってきた。一方で、日本企業が海外に慣れてきたとはいえ、その事業運営が順風満帆というわけではない。

 劇的に成長し変化するマーケット、日本と異なる地場やグローバルでの競争環境、現地法人内で噴出する問題、異なる文化の壁など、現地法人が立ち向かわなければならない事象は果てしなく存在する。

 加えて、現地法人には本社ほどの企画機能や間接部門が存在しないことが多い。多忙な駐在員がこうした複雑な問題に立ち向かわなければならない状況がある。むしろ、本社からのコスト削減要請から、日本人駐在員が減少している現地法人も多い。

 本号では、そうした状況下、如何に現地法人が課題に向き合い、変革に挑んでいるかを紹介し、その成功要因や効能について考えてみたい。

1 求められる「経営」機能

海外進出をする理由は各社さまざまであり、業態により異なる面は多少あるものの、一般的に当初は、製造や営業などの部分的な機能のみにて進出することが多い。また、ビジネス自体も、日本への輸出入など、密接に本社やグループの得意先と結びついていることが多い。

現地法人の社長は、本社の営業部長か工場長の経験者であるというケースが、今でも多いのではないだろうか。

進出からある程度の期間、大きな問題は起きにくい。本社やグループのお客様に絡むビジネスが太宗を占め、現地法人はその製造なり営業なりの機能を円滑に「運営」することがミッションであり、それでもビジネスは一定の成長を遂げるからである。

一方、現地法人も年数を経るにつれ、本社関連のビジネス・グループのお客様相手のビジネスの依存度が低くなり、現地のマーケットを狙うために、今までになかった製造・調達・営業などの機能を保有するようになることもある。現地法人もその機能や役割が大きく変わることとなる。

そうなると、もはやグループとしての当該エリアの単純な一機能では済まず、一企業として、現地に根差して、現地の市場で生き残りを図らねばならない。

本社から見れば、現地に根差せば根差すほど、本社として直接意思決定に口を出す、強く関与をするということが難しくなってくる。本社は現地と同じ情報量を持つことができないからである。

地域統括会社を作り、地域単位で戦略や事業管理を考えるという会社も増えつつあるが、地域統括会社が全ての現地法人の面倒をきめ細かく見ることができるわけではない。

海外現地法人には、これからの海外市場で生き抜くための、「経営」機能が求められるようになる。ここで言う「経営」とは、事業を成長させ、売上と利益を創出するために、企業組織の運営を行うことである。グループの一機能として、本社の指示に忠実に従い「運営」するのではなく、自律的に「経営」する機能が求められつつあるという点に注目し、次章以降の事例を見てみたい。

2 挑戦する海外現地法人の事例

(1)現地法人の再編を機に、全社変革に挑む

最初の事例は、某国における複数の現地法人の再編を機に、様々な変革に取り組んだ現地法人A社の事例である。

A社は進出から数十年が経過した当地の老舗日系企業であり、A社グループとして海外進出した第一号拠点でもあった。再編自体は、現地法人の数を減らし、効率的な運営を目指すものであり、この再編により組織をスリム化しながら、改めてエリアでの存在感を高めていくことが期待されていた。

A社社長は、幹部社員と協議し、この組織再編を単なる手続きやスリム化だけに終わらせるのではなく、今後の10年先を見据えた、「現地法人の改革の端緒」であると位置づけることにした。

再編は、その影響がどこに及ぶか、様々な機能の面からの検証が不可欠であり、そこに全社改革の視点を持ち込むことは非常に有意義である。もちろん再編だけですら大変な労力が必要になる上に、全社改革となれば、現場の負荷は大きく高まる。A社社長は逡巡したものの、「この機を逃したくない」、「大変ではあるが、再編だけで『後ろ向き』なイベントにするのは勿体ない」という思いから意志を固め、幹部社員に伝えて共感を得た。

A社では、日本人、現地人を含む枢要な部門長をプロジェクトメンバーに据え、再編や全社改革を支援してくれるコンサルタントを招き、一大プロジェクトを組成し、再編やその先の全社改革に向けての動きを本格化した。

プロジェクト事務局は、プロジェクト開始に先立ち、主要メンバーと個別に話し合った。主には、「 1) 再編にあたっての留意事項や懸念点」、「 2) 再編を機に実現したいこと」の二点を深く掘り下げることを心掛けた。

特に 2) については、下記のような課題を提起する意見が相次いだ。プロジェクト事務局は、課題を整理して再編準備とのタイミングや負荷などを勘案し、再編マスタープランを作成した。

例❶)高まる離職率への対応(人事制度の改定)

例❷)複雑化した業務の整流化(業務改革)

例❸)営業スタイルの刷新(外注活用強化)

例❹)経営理念の更なる浸透

例❺)10年後を見据えたサクセッションプランの高度化

再編そのものを推進するためにも、人事制度の点検、契約書・許認可の点検、システムの統合に向けた準備など、一連のタスクを遂行せねばならない。プロジェクトでは、全社改革に向けたタスクを、

❶再編タスクと同期させる、

❷再編タスクを優先させる、

❸再編タスクに先立ち実施する、

の三つに区分した。

再編自体の推進と全社改革については、全社員向けにも開示、説明がなされ、現地法人全体として前向きな機運が生まれることとなった。プロジェクトに参画した現地社員は、前向きに協力し合い、「こういうことをやってみたい」、「現状のこういうことが問題だと思うから、全社改革の中で取り上げないか」という積極的な声が次々と湧き上がってきた。

A社では、再編自体は終わった後も、全社改革として取り上げた事項に次々と取組み、着実な成果をあげている。A社トップは、「A社はAグループの海外拠点では『背番号1 』であり、A社が海外拠点を牽引していくんだ、こういう気概をA社社員に持ってもらえるようになった」とプロジェクトを振り返って述べている。

(2)現地化に挑む

次は、「現地化」に挑んだB社とC社の事例である。「現地化」は海外現地法人を語る際に、極めてよく耳にする言葉である。一般的には、「日本人駐在員をできるだけ返してコスト削減をしたい」という文脈で使われることが多いが、「現地をマーケットとして捉える」という前向きな文脈で使われることもある。一言に「現地化」と言っても、当該企業にとってのエリアの位置づけや事業の発展度合に応じて、為すべきことや目指すべき姿は大いに異なる。

まずもって、自らの会社にとって「現地化」とは何か、目指すべき姿は何かを明確にすることが重要となる。加えて、その「現地化」を実現するためには、山積する問題、輻輳する課題を丹念に紐解いていく必要があり、掛け声だけでは当然実現しないし、一朝一夕に実現できるものでもない。

例えば某国現地法人の土木建設業B社は、20年前に進出し、順調に売上・利益を伸ばしてきたものの、当該エリアの経済成長の鈍化から、「現地化による生き残り」を目指すことが近年の経営の大きなテーマであった。日本本社は、B社の新社長に対し、「社長としての任期がどれだけになるか、現時点では明言できないが、とにかく最初の3年で『現地化』についての道筋を見つけるように。そのために本社も最大限サポートをする」と強いミッションを与え、某国に送り出した。

新社長は、就任早々に多くの社員との対話を重ね、幹部社員やコンサルタントとディスカッションを重ねる中で現地化に対する一つの考えを導出した。

「 ・ 日系企業や日本政府関連の仕事は漸減する

・ 今後は現地市場の取り込みが不可欠である

・ 現地市場に対し、現地人主体でのアプローチが必須となる

・ これらの姿を実現するために、何をすべきかをより具体的に、明確にし、打ち出す必要がある。」

幹部社員とコンサルタントは、上記方針に基づきながら、B社にとっての現地化を実現するための方策を練ることとなった。

例えば、「現地市場に対する現地人主体でのアプローチ」については、長年の日系主体=日本人主体の営業が染みついており、現地人営業スタッフが育っていないことが課題となった。加えて現地人の人事制度も、営業というよりは、営業アシスタント用の制度となっており、インセンティブが極めて薄いことが分かった。営業の手法も、日系企業向けと現地企業向けでは異なる部分はあるものの、「営業とは何か」という基本的なノウハウの伝承が不可欠である。「日本人が何とかしてくれる」というマインドの変化も必須となる。

現地幹部スタッフからは、「この業界ではトップ営業が不可欠、現地企業は営業担当とは会ってくれないこともある、トップは現地人にできないか」という意見も聞かれた。

B社社長はこれらの検討を受け、「これから5年以内に、社長は現地人、社長をサポートするアドバイザーを日本人が担う。この体制を実現しよう」とプロジェクトチームからの報告に対して返答した。また、「任せるからには任せっぱなしではよくない。どういったガバナンスが良いかもしっかりと考えるように」と付言した。

プロジェクトではその後、将来の社長人財を経営ノウハウ習得や日本での人脈づくりのために日本本社に派遣すること、人事制度を改定すること、その他ノウハウ伝承を行うことなどを矢継ぎ早に取り決め、早々に各プロジェクトを始動させることとなった。

特に、現地社員でも社長になれる可能性がある、という点から、日本への研修派遣を求める社員が増加し、多くの現地社員がモチベーションを上げることになった。

某国で大規模な製造工場を5年前に設立した現地法人C社では、設立以降も増産や拡販を重ね、ようやく大きな収益を獲得できるようになってきた。

工場立ち上げに際しては、多くの日本人が駐在員として派遣されている。これは、某国における主要顧客からの強い要請を受け、短期間にて製造工場を立ち上げる必要があったからである。

多くの日本人が製造ラインの主要なポジションに着くことで、C社としては日本と変わらぬ品質、不良率、事故件数などを維持することができていた。また、日本人がどれだけ派遣されていたとしても、当面は収益が十分に確保できるという見通しも立っていた。

そのような中であっても、C社社長は「現地化」を早期に必達すべし、との強い考えを持っていた。それは、某国の現地社員が勤勉に日本人に学ぶ姿勢を持っていること、にもかかわらず日本人駐在員が各ポストに軒並み配置されていることから、自らの今後のキャリアに不満を抱いていることを見抜いていたからであった。また、現地社員による工場の運営、ひいては現地法人の経営ができれば、より多くの収益を確保でき、その収益は新たな技術開発や新たな国、エリアへの投資に使える。また、当地で工場立ち上げを経験した日本人は、他の国、エリアに派遣してこのノウハウを世界中に伝授することもできると考えた。

C社社長は、「時期尚早と感じるかもしれないが、次の現地法人の展開、次のグローバル展開を見据え、この工場、この現地法人の『現地化』を推進したい。究極的には、『日本人がいなくても運営できる工場、現地法人にしたい』」と幹部社員向けの年頭の所感で述べた。一方で、まだ創業して間もないこともあり、「すべてを一挙に解決するつもりはない。最優先で手を付けるべき部分、最も有効な手段をまずは特定し、変革のさきがけとしたい」とも付け加えた。

幹部社員は、コンサルタントを採用し、様々な分析やインタビューを繰り返し、「現地化に向けて何を一番に為すべきか」を徹底的に議論した。

その中で導出されたのは、「人事制度の見直し」であった。プロジェクトチームは、現地社員・日本人社員ともに、現地化後の人財像の『目指す姿』を共有することが特に必要であると考えた。

プロジェクトでは引き続きコンサルタントを活用し、次期人事制度として、どういった基本方針で設計を行い、どういった内容を備えるべきかを詳細に検討し、無事に新人事制度を改定することに成功した。

新人事制度の下、日本人の役割、現地人の役割、それぞれが目指すべき人財像やそこに向かっての教育研修、キャリアパスが整備されることとなった。日本よりも離職率の高い某国にあって、C社の離職率は、某国日系現地法人の中でも、相応に低いパーセンテージを未だ維持している。加えて、「人事制度を現地化に向けた道標とする」という考えは、近隣現地法人にも伝播することとなった。

(3)環境変化に備え、事業運営の変革に挑む

某国に製造拠点を持つ現地法人D社は、これまで自動車部品を長く製造し、完成車メーカーやTier1に部品を納めてきた。世界的なEVシフトが騒がれる中、某国でも、「203X年にEV化率YY%」という政府の政策目標が掲げられるなど、D社の根幹を揺るがしかねない環境変化が差し迫っていた。

D社社長は、従業員も不安を抱える中、「政府目標が到達すれば、当社の製造量は3 ~ 4割減少する。当社が自動車産業で培った技術は、他の産業でも必ず生きる。どの産業を攻めるべきか、徹底的に見極めようではないか」と考え、検討を進めるよう指示を出した。日本国内では、主要顧客への配慮から思い切った他業種の開拓は行いづらいが、当地であれば比較的自由に動きやすい。また、この他業種への挑戦で得る知見は、他のエリアや日本でも将来きっと役立つと、D社社長は考えていた。

同時にD社社長は、これまでの営業は、既存顧客への御用聞き・ルートセールスが主であり、今後はより能動的な営業が求められるとも考えた。自身も生粋の技術者であり、キャリアの8割以上を製造関連で過ごしてきていたが、既存の営業部とも話し合いを続け、自身が先頭に立って新たな顧客開拓を行うことを約束し、協力を取り付けた。

D社社長は以降、新たなターゲット業種について、銀行などを介した顧客紹介を得るために積極的に動き、また日系企業の集まりでも大いに人脈を広げ、まさに率先垂範をして見せた。D社営業スタッフもそれに応え、様々な新規顧客先に出入りをはじめ、情報収集や設計図面の入手をするようになった。D社は仕組みや制度をもって変革したわけではないが、某国での変革がD社グループにきっと役に立つという社長の信念と強いリーダーシップにより企業が変革し始めた例と言える。

E社は、物流サービス業を某国で営む現地法人である。E社グループの日本でのお客様が某国に進出した際は、必ずE社を活用してくれていた。

そのような状況が、年々崩れていくことが徐々に明らかになっていった。日系のお客様が某国に進出して一定期間が立つと、コスト削減と銘打って、競合するグローバル企業や地場企業も含むコンペを開催し、E社が失注するということが相次いでいたのだった。

E社社長は、営業企画担当のスタッフに対し、「日本からのお客様を大事にし、作業品質を訴求することで受注を継続するモデルは早晩厳しくなる。営業スタイルの改革を考えたい。」と持ち掛けた。

E社の競合相手を見ると、グローバル企業と地場企業の二種類に大別できることが分かった。後者はコンペがあれば参加し、低価格での受注を目指す戦略を採っていることがすぐに判明した。また、コンサルタントを交えた調査を行うと、グローバル競合企業は、

❶グローバルのネットワークを活用し、地域統括拠点が集中するエリアなどでの営業攻勢を掛けている、

❷全世界で得られた先進事例、成功事例を即座に持ち込み、提案できる力を持っている、

❸グローバルでの顧客動向を横断的に研究するチームを持っており、そのノウハウを営業に活用している、

ということが分かった。

E社グループもグローバルに展開しているものの、目下のグローバル競合企業に比べると、そのネットワークやノウハウはかなり分散していることが否めなかった。グローバル競合企業の強みに対し、正面から勝負を仕掛けるには分が悪いが、局所的に某国で、しかも市場により深く根差すような特色を持つことで、勝ち筋を見出せるのではないか、とE社社長は考えた。

E社はコンサルタントに引き続き依頼し、某国における特定ニーズの深堀調査を行った。E社社長としては、某国の特定ニーズに特化し、その深みやニーズの理解力を武器に、某国での勝ち残りを図ろうとした。

E社では、コンサルタントが行った初期的な調査結果に基づき、ターゲットを定め、営業担当が戦略的に、積極的に提案を仕掛け続けることとした。特定ニーズの内、攻略が難しいと判明した領域もあったものの、新規の大型受注にまで結びつけることができた領域もあり、E社としては新たな営業スタイルの変革に手ごたえを感じつつある。

(4)地域統括会社の改革に挑む

地域統括会社も、グローバルでの経営に際しては頻出する用語である。地域統括会社を設立すると、それぞれの地域統括会社が、日本本社に代わって地域のビジネスをマネジメントすることとなる。

地域統括会社の設立は、2010年代に議論が本格化し、多くの会社が実際に設立している。一方で、税務メリット等に論点が偏りがちであったことや、「地域ではなく事業部」が強いという日系企業の一部の特性も相まって、作ったものの目指していた機能には未だ至っていない、という会社も多い。

地域統括会社を設立したエリアによっては、各国で言語や会計の制度が異なる場合もあり、これもまた地域統括会社の機能を制約している一つの要因であった。

F社は、競合他社や日系企業が相次いで地域統括会社を設立した時期に、某国に設立された地域統括会社である。周辺エリアの統括のために、資本関係の大幅な整理を経て、地域統括会社に各地の現地法人がぶら下がる形が整えられた。地域統括会社は配当収入を得つつ、某国でのメリットを活かし、金融機能及び事業管理機能をその主な機能としていた。

本社としては、他エリアに作った地域統括会社と同様、地域の戦略を考え、地域での資源配分を考え、地域での事業をしっかりと管理する、ということを意図してF社を設立したものの、当初想定した機能は実現されていないままだった。むしろ、エリア内で最も新興の会社であるF社は、歴史を持つ各国の現地法人とうまく折り合いがつかないこともよく起きていた。本社担当役員は、「F社の統括するエリアは、他のエリアと事情が異なる。エリアで最適な地域統括会社の在り方を見定めてほしい」とF社社長にミッションを与えた。

F社では、枢要な幹部とコンサルタントを交えたプロジェクトチームを組成し、

1) どういった地域統括を目指すか、

2) そのためにどう地域統括自身とエリアの現地法人を変革していくか、

の議論を始めた。

特に 1) の議論は混迷を極めた。業態やビジネスの特性、各国の事業規模や今後の戦略、F社グループの企業風土や文化などを総合的に考慮に入れ検討をしたものの、唯一解として「こうあるべき」という姿は見いだせなかった。

コンサルタントの行った他社事例調査においても、先進事例と言われた他社地域統括と雖も、当初想定していた機能からは程遠く、またそこにたどり着くには相応の時間を有する、といったこともわかってきた。F社社長は、この結果を受け、「確たる姿を、今時点で全て定める必要はない。エリアの現法が望む機能を拡大しつつ、事業運営や管理、戦略策定を見越して整備すべきものから着手しよう」と方針を転換した。

F社は、各現地法人の期待に応えるため、各種間接業務や税務会計等の専門的な知見を蓄積し、新規事業に対するコンサルティング的な助言や支援などを充実させるとともに、域内でのシステムの統合や人事制度の基礎的な部分を統一するなど、今後の事業運営を見据えた施策を打ち出し、着実にその機能を強化させているという。

(5)業務改革に挑む

正に、辺境から変革を起こしたのがG社の事例である。

G社は、某国にて製造業を営んでいる。某国は既に日系進出が一段落し、成熟過程にある国である。G社社長は、就任後から、業務の効率化やDXを活用した改革を社内で説き、各部に何ができるかを研究させていた。

そんな最中、コロナ禍が訪れ、某国では日本に比べてより厳しい、いわゆる「ロックダウン」が長期に亘って行われることとなった。

G社では、突然政府から発表されたロックダウンに対し、その対応を迫られていた。某国では、日本よりも依然として「紙文化」が残っており、決裁は全て「サイン」が基本となっていた。G社では、ロックダウンになると全ての業務が止まってしまうのではないか、という不安が社員に広がっていた。

G社社長は、至急日本本社と協議を行い、在宅勤務に向けた体制整備を急いだ。本社からは、セキュリティ上の問題などに対する迅速な回答がなされた。一方で、実際に各自が在宅勤務となった場合に事業運営が可能になる仕組みやシステムについては、相当の金額がかかり、完成するのも数カ月先、との回答が帰ってきた。

社内では、ドライバーやメッセンジャーを使って様々な紙を幹部社員の間で回覧する方法なども検討したが、それも政府のロックダウンの規制次第ではうまくいかない可能性を消し去れないでいた。そんな中、G社のITシステム部から提案されたのが、「ノーコード・ローコードのシステムを活用した簡易システムによる解決」であった。G社社長の号令下、ITシステム部が従前から研究していた内容とも合致し、「システムを動かしながら検証する形でも良ければ、最短1週間程度で使用可能な状態にできる」とのこともわかってきた。

G社社長は思い切って、ITシステム部の案を受入れ、本社への了承も取り付けた。ITシステム部は各部門に説明を行い、簡易的な要件を取りまとめ、ベンダーと開発を行った。期間も費用も、本社が提示した半分以下で機能が実現されることとなった。

システムの初動はトラブルも多く起きたものの、現地法人から始まった画期的なプロジェクトであり、社長も強く推進を呼びかけていることもあり、各部の協力を得られ、無事にシステムは現在も稼働しているという。これらは即時にG社グループ内に共有され、各現地法人や、本社の一部でもこの方式が採り入れられることとなった。

G社では、日ごろから社長がDXについての研究を各部に命じていたこと、ITシステム部も躊躇わずに提案ができる環境にあり、トップがリーダーシップを強烈に振るったことなどから、思い切った変革を成しえたと言える。

コロナ禍では、様々な現地法人で変革が加速した面がある。ノウハウの伝承、業務の効率化、営業スタイルの改革など、こうした事例は枚挙に遑がない。

3 変革に挑戦する原動力

以上の事例から導き出される、変革への挑戦の原動力は、下記に集約される。

(1)リーダーシップとフォロワーシップ

まずは、現地法人の経営トップが変革に挑戦する明確な意思を持ち、経営トップを支える幹部社員が存在していることが重要である。

現地法人の経営トップは、経歴や任期等の制約はあったとしても、経営者の視点で、市場や現地法人を俯瞰し、今何をなすべきなのかを明確に定め、変革に挑戦する意思を幹部社員に示し、共有するところから始めねばならない。

(2)ミッションと使命感

現地法人の経営トップは、自らが経営者だと思いリーダーシップを振るう必要があるが、誰もが、常に自然とそうした考えに至るわけではない。

現地法人の経営トップ交代時には当然引継ぎが行われるが、日本本社側でも、事前に現法の状況やミッションを共有し、新任の現地法人の社長に伝えることが重要となる。

現地法人の変革への挑戦は、現地法人単独の問題ではない。本社や地域統括会社には、後押し、サポートの役割が求められる。

(3)現地社員の巻き込み

現地法人を変革しようとすれば、現地社員の協力無くして成功は難しい。そのためには、常日頃からの円滑なコミュニケーションが土台として必要となる。また、それまでにどれだけ現地社員を育成してきたかも重要となる。

駐在員は長期に亘る赴任となる場合もあるが、多くは5年などで帰国することとなる。挑戦や変革を浸透させ、現実のものとするのは多くの場合現地社員である。彼らの活力を存分に引き出すことで、変革への挑戦が実りあるものになる。

(4)現地法人外部の巻き込み

現法の変革への挑戦を実効のあるものにするためには、検討プロセスにおいて様々なステークホルダーを巻き込むことが欠かせない。

一つには、どうしても不足する現地法人のリソースを補うために、コンサルタントなどの外部の専門家を活用することである。現地には、法律や税務、システム、現地事情に関する専門家もいれば、現地法人の変革のスペシャリストもいる。立ち向かうべき変革に対し、最適な外部パートナーを見つけることも、成功に向けた重要なポイントとなる。

二つには、統括会社や本社も、意思決定に際し、その後の資金やノウハウ、人財等でのサポートの観点から重要なステークホルダーになる。

現地法人の変革のスタート時や推進途上、最終的な結果の共有など、最適なタイミングで統括会社や本社を関与させることが好ましい。

4 変革への挑戦がもたらす効能

現地法人が変革に挑むことは、直面している問題や課題を解決すること以上に、下記の大きな意義を持つことであると言える。

(1)変革は辺境から

よく、変革やイノベーションは「辺境から」、と言われる。

それは、日本で培われたノウハウや技術をベースに、本社から遠く離れた場所で、しがらみなく、新たな市場や課題に挑戦することで、新たな変革やイノベーションが生まれるということではないだろうか。

本社では、長年の間多くの社員が慣れ親しんだ、いわば「完成した」仕組みや制度、システムにより事業が運営されている。これを変えていくことに比べれば、サイズも含めて身軽な現地法人では様々な試行錯誤が容易に行える。現地法人を変革の孵卵器にしない手はない。現地発の取り組みや変革が、日本本社で採り入れられた事例も出始めている。

(2)自ら考える現地法人へ(経営能力の向上)

「現地法人が自ら考えてくれない」、「現地社員が指示待ちになっている」という声を聞くことも多い一方で、実際には、「考えさせる機会を与えていない」ということもある。

考えさせたことがないのに、「なぜ考えないのか」と迫るのは酷である。人や組織は、新たな課題や壁に挑戦する時、真剣にその解決方法や自らの在り方を考えるのではないだろうか。現地法人の経営を、自分事として捉えるようになる、最も良いきっかけが、「変革の機会」と言えるのではないだろうか。

変革に挑戦すること自体が、現地法人の自律的な運営の第一歩となる。

(3)伝播する挑戦

「変革は辺境から」という言葉は、これで終わりではない。「変革は辺境から起こり、伝播する」が正しいと考えられる。

まず、一現地法人の成功事例は、近隣の現地法人へ伝播する。成功事例は、他の現地法人にもヒントを与え、変革に向けた最後の後押しにもなりうる。

特に、その企業にとって業歴の古い指導的なエリアでの現地法人が変革をすれば、自然と他の現地法人が見習うことになる。また、新興の小規模な現地法人から変革が起きれば、「うちの現地法人も負けまい」、という気持ちが沸き起こるのではないだろうか。現地法人の変革への挑戦が伝播し、その成否や結果を競うほどになれば、いうことはない。

加えて、最終的には辺境で起きた変革が、本社をも変えうる。ものごとの良し悪しに国境はなく、その変革が本当に意味のあるものであり、効果があれば、本社で採用されることもある。全く同じことを採用するというだけではなく、「考え方」や「取組み」が本社に逆輸入されるケースも増えていると聞く。

(4)挑戦により育つ人財

変革への挑戦は、間違いなく人財を育てる。

現法で一つの変革を成しえた人財は、日本人であれば帰国後に、あるいは他の赴任地で、その経験が活かされ、磨かれ、将来的な経営幹部となりえるであろう。また、現地社員であれば、将来的な現地法人の経営層となるであろう。

育った人財は、現地や日本、その他の地域でも、その土地土地で求められる挑戦と変革に邁進していく。

もはや、現地法人が単なる製造や販売の拠点であるという時代は、終わりを迎えつつある。現地法人は「法人」=「企業」として、各マーケットで生き残り、グループの中での使命を果たしていかなければならない。

本シリーズの事例のように、本社の海外事業部や現地法人には、積極果敢に、様々な変革に挑戦することが求められている。