今月の視点
新興企業は、事業の価値を認められて発展の緒についた後、資金調達、販路開拓、拡大に伴う内部管理の強化等、様々な経営課題に対応しながら成長していく。
「人」に関する課題も多い。新興企業では、経験者採用が多く、採用自体が容易ではない環境下で、採用した人材が期待通り活躍してくれるとも限らない。また、採用時の給与水準がまちまちで、不公平な状況になっていることも多い。人数規模が拡大すると、創業時のメンバーとは異なる意識で入社してくる人も出てくる。
こうした状況への対応策として、評価・育成・処遇の制度を導入してみたものの、すぐに形骸化してしまったという例も少なからずある。成長する新興企業の人事制度整備には、どのように取り組むべきかを考えてみたい。
1 A社の事例
A社は製造業を営む人員規模40名の企業である。画期的な技術を活用した製品の価値が認められて成長途上にあり、上場を視野に入れて内部管理体制の強化を図っていた。
人事面については、ほぼ全員が経験者採用であり、前職の給与水準を考慮して入社時の給与が決められていたため、同じ仕事でも給与差が大きな場合や、役職と給与水準が逆転している場合があった。また、若い社員が年に何人か離職していたため、A社の社長は、給与水準や福利厚生を見直すとともに、キャリアアップのイメージを社員に示すことが必要だと考えていた。
入社時の給与の違いによる不公平を是正する方法がないかを、外部の経営コンサルタントに問い合わせたところ、「役割レベルの違い等で等級を設け、各等級に見合う給与のターゲット水準を決め、評価結果に応じてそこに収束させる方法がある」との回答を得た。
等級制度の導入は、処遇を適切な水準に持っていくために不可欠であると同時に、キャリアアップをイメージしやすくすることにも役立つと社長は考えた。人材の定着・育成を促進するために、人事制度を全体的に整備するべきタイミングが来たと判断し、経営コンサルタントを入れて制度整備を進めることにした。A社の人事制度整備の要点は、以下の通りである。
[1]等級制度
フラットな組織体制を前提に、役割のレベルの違いに基づいて4段階の等級を設定した。
等級ごとの役割基準を明確にし、社員の成長の指針にしてもらうことにした。
今後の事業展開で重要視する要素として、「収益意識」と「プロジェクトマネジメントスキルの習得」を、等級ごとの役割基準に加えた。
[2]評価制度
「目標達成度評価」と「行動評価」の二種類の評価を取り入れることにした。
「行動評価」の評価基準は、等級ごとの役割基準を土台にしてシンプルな内容にした。「組織行動」「目標設定」「課題遂行」「相手志向」「成長・育成」という、自社で重要視する行動を切り口とした5つの基本要素区分に、各3項目ずつの評価項目を設けた。等級別に求める水準に違いを設け、職種を問わず全社員共通の基準とした。
「目標達成度評価」では、事業年度開始直前に上司と話し合い、部門計画を個人別に展開する形で目標を設定し、事業年度終了後に達成状況で評価する。こちらは部門・職種による固有の内容となるため、目標や評価のレベルにばらつきが出にくいように予め代表的な事例を示しておき、運用開始後にも事例を蓄積していくことにした。
[3]給与制度
A社の社員を職種別に見ると、技術者と営業担当者の比率が高く、同業他社、ユーザー業界の企業、研究機関等、出自が様々である。採用時に前職の給与を保障しているため、同じ等級に格づけるべき社員同士でも給与水準がまちまちであった。これを各等級の役割基準に見合う水準に収束させるため、等級ごとに給与額のターゲットゾーンを設け、それより高い場合は昇給を抑え、低い場合は昇給を大きくする仕組みにした。
ターゲットゾーンの金額水準は、業界情報誌、転職エージェント等の情報を参考に設定した。

2 B社の事例
化学製品製造業のB社は、画期的な製品を発売して急成長していた。人員が1年で3倍近くまで膨らみ、従来の人事制度では実態に合わない部分が目立つようになったため、人事制度を見直すことにした。
人事制度を見直す第一の目的は、「人材の確保・育成」である。
販売戦線の拡大、品種の多様化が進むことに対応し、これまで拡充してきた製造や物流の操業を担う人材にとどまらず、戦略的な生産拠点・物流拠点の選定、設備能力の見直し、需給調整の仕組みのレベルアップ等、構造的な課題に迅速に対応できる人材を充足することが必要になってきた。
本社部門でも、組織の拡大による様々なリスクの高まりに備えるため、法務・財務・税務・IT等について、ある程度の見識を備えた人材が必要になっている。
こうした人材をどのように格づけて処遇するか、どのように評価するか、育成の指針はあるか、という問いに対して、現行の人事制度では明確に答えにくかった。
第二の目的は「社員の意識・行動の変革」である。
求める人材の質が高度になってきたことに伴い、社員に対しても、役割意識をもって絶えず創意工夫を重ね、成果の向上に結びつけてもらいたい。そのためにモチベーションを高める環境も必要であると社長は考えていた。
第三の目的は「人件費構造の改革」である。
B社の社員の多くは経験者採用で入社していた。希望年収を考慮して入社時の給与水準を決めているが、近い水準の社員同士でも入社後の役割貢献に明らかな違いが見られた。給与水準の割に担っている役割が明らかに小さいと思われる場合でも、給与水準を下方に調整することは、これまでB社ではほとんどなかった。
こうした賃金の下方硬直性を解消し、担っている役割に見合った賃金を実現し、総額人件費を適正化したいと社長は考えていた。
このような背景と目的を踏まえ、B社が行った人事制度の見直しの要点は、以下の通りである。
[1]等級制度
管理職クラスの等級については、担っている役割と給与水準を合致させるため、「役割」を基軸とした役割等級制度に変更した。管理職と同等に処遇すべき高い専門性を発揮して貢献する「専門職」についても、役割を定義して格づけることにした。
非管理職クラスについては、従来通り能力開発を重視した職能資格制度を維持することにした。
[2]評価制度
B社の評価制度は「目標達成度」と「行動プロセス」を評価要素としているが、「目標達成度」のウェイトが大きかった。人材育成の観点からこれを見直し、「行動プロセス」のウェイトをこれまでより大きくした。加えて、評価項目を再構成し、「行動プロセス」で求める内容を具体的な行動例に展開し、等級ごとの要求レベルを明確にした。
また、評価者による評価の偏りを避けるため、役員と部門長で構成する評価会議を経てから評価を最終決定することにした。
[3]給与制度
管理職クラスを対象に、等級を役割等級制度に変えたことに伴って、役割給を導入した。
また、経験者採用で入社した人材を的確に評価し、ふさわしい等級に格づけるため、試用期間制度を設けた。試用期間中は仮格づけとし、期間終了時の評価によって、等級格づけと給与額を見直すこととした。
3 C社の事例
株式公開に向けて準備をしている開発型製造業のC社では、開発のステージが大きく前進し、事業規模拡大に備えた人事制度見直しを実施した。その要点は以下の通りである。
[1]管理職・専門職グレードと給与水準の見直し
事業規模の拡大に伴って各部門の人員を拡大することになった。各部門の中では、事業展開に合わせて担当領域が多様化したり、専門分化が必要となったりして、部門の分割や課の設置が行われ、これまでごく少数でよかった部門責任者、高度専門職の数を急速に増やすことになった。そのため経験者採用をより活発にするとともに、管理職・専門職相当のグレードを1階層から2階層に分化し、役割と給与レンジの幅を再整備した。
[2]経験者採用の格づけ基準の明確化
管理職・専門職相当の人材を経験者採用した時の格づけは、基本的に前職給与と、本人申告に基づく貢献目標のレベルを勘案して決定することとし、決定は代表取締役・管理担当取締役・配属予定部門の担当役員が直接本人と面談して判断することをルールとして明確にした。
採用から半年以上経過した年度終了時に、入社時に設定した貢献目標の達成度で評価し、再格づけすることを明文化し、入社時に本人と共有する。
[3]ストックオプションによるインセンティブプラン
以前から実施していた役員・社員へのストックオプションの付与について、等級格づけに応じた格差、株式公開までの期間、株式の希薄化への影響等を考慮して、今後の付与数を決定するにあたっての指針を整備し、公平感のあるインセンティブプランとした。
4 D社の事例
D社は情報システムの開発・運用・保守を請負うSIerの新興企業である。新たなデジタル技術を活用して顧客企業の幅広いビジネス課題の解決に貢献することを志向し、そのような技術を活用できる人材の確保・育成を促進するために人事制度改革に取り組んだ。
人事に関する現状を確認した上で、人事制度改革の目的と主要論点を以下のように整理した。
[1]事業の方向性と現状の問題点
顧客企業のDX推進、ITガバナンス強化の支援に資する企業として、より一層の成長を実現するため、高度な専門家集団になることと、運用・保守業務を効率化することの二つを目指す方向として定めた。
しかし、現状は離職者数が多く、経験者採用にも苦戦している状況にある。直近1年で技術者の1割が退職し、採用数との差し引きで技術者が若干名減少していた。
[2]人事制度改革の主要論点
1)目指す創出価値と必要人材像
事業の方向性を踏まえ、顧客企業にとっての価値を具体的にどのように出していくか、そのための必要人材像はどうなるかが大きな論点であった。
2)今後の自社の技術者強化の方向性
必要人材像を検討する前提として、技術者のレベルアップの方向性がとくに重要な論点であった。社内の議論では、例えば、より複雑度の高い開発ができる技術者を確保・育成していくこと、ITツールの知見に長けたコンサルタントを確保・育成していくことが必要との意見が多いが、対象顧客・取り組むべきビジネス課題の領域・必要な知見についての具体的なイメージはあいまいで、若手にとって能力開発目標や、高い評価・処遇を得るための条件を示すことができていなかった。
また、事業の方向性に照らしたとき、従来型の受託開発や運用・保守を主に担当する技術者は、どう位置づけられるべきかという観点もあった。
3)必要人材を確保・育成するための基本的な考え方
人材像、とくに技術者充実の方向性をある程度整理したうえで、モデル的なキャリア形成、どのような人材を高く評価するかの考え方、どのような人材に高い報酬を付与するか等を明らかにすることが必要である。
とくに、重点的に確保・育成したい人材の給与水準については、同様の職種・役割の人材に対する世間相場と、社内における序列の両面に配慮する必要がある。
D社では、これらの論点を議論した結果に基づいて、人事制度の内容を見直した。
5 成長する新興企業における人事制度整備の留意点
一概にはいえないものの、成長する新興企業には以下のような特色がある。
- 少数精鋭の集団であり、一人ひとりのモチベーションが組織業績に大きく影響する。
- 急速な成長に伴って、戦略・重点経営課題・必要人材が急速に変化することが少なくない。
- 経験者採用でさまざまな出自の社員が増えていくと同時に、流動性も高い。
このような特色を踏まえると、人事制度整備において以下のことに留意が必要である。
(1)会社のありたい姿を実現する人材像を起点にする
成長する新興企業では、即戦力を獲得するために経験者採用を中心に人員を増やしていくことが多い。このことにより人員が増えるにつれ、前の職場の特性・職種・入社時期等の違いによる社員間の意識ギャップが生じやすい。
「どういう会社にしたいか(会社のありたい姿)」と「それを実現するために必要な人材像」を起点に、独自の等級基準・評価基準を展開することで、社員の意識の共通化を図ることが肝要となる。
人事制度で示す基準は、経営からのメッセージ性を持つため、社員に伝わりやすい内容を示すことで、挑戦への動機づけやレベルアップ目標としての活用につなげたい。
(2)シンプルな制度でコミュニケーションを重視する
成長する新興企業では、戦略・重点経営課題・必要人材が年を追って変化することを考慮し、初めから複雑で精緻な制度とせず、メンテナンスしやすい制度とした方がよい。
代わりに、目標の設定、進捗確認、評価のフィードバック等を個別具体的な内容で共有するため、上司と本人のコミュニケーションによる動機づけと指導が重要となる。
(3)人材の流動性を踏まえた仕組み
経験者採用には一般的に前職の給与が考慮されるが、入社後のインセンティブ効果と社員間の公平性を保つためには、評価に基づいて自社の処遇体系に合わせていくことが望ましい。
そのために、自社の評価基準・昇降給ルールを明示するとともに、本人にどういう貢献をするかのコミットメントを求めることが大切になる。
(4)インセンティブの工夫
成長する新興企業では、資金が潤沢とは言えない場合も多く、当面の支出を抑えながら、インセンティブとなる方策を導入する例が見られる。
ストックオプション、表彰制度、称号や重要な役割の付与等の手段があり、対象者や付与するタイミングを工夫している。